1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり
1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり同年3月9日に火口から溶岩の流下が始まった。大正大噴火とは異なり噴火前後の有感地震はほとんどなかった。3月11日夜から連続的に噴火するようになり、対岸の加治木町や国分町(後の霧島市国分)から火柱が観察されている。大量の火山灰を噴出し、牛根村(後の垂水市牛根)では3センチメートルの厚さに降り積もった。火山灰の影響で同年5月に持木・野尻地区でたびたび洪水が発生している。
溶岩流は鍋山付近で南北に分流し北側は黒神地区の集落を埋めつつ4月5日に海岸に達した。南側は有村地区を通過し5月21日に海岸に達した。死者1名、噴出物総量は約1億立方メートルであった。この噴火は同年11月頃に終息したが、その後も散発的に噴火が起きている。
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1955年(昭和30年)10月に南岳山頂火口で大量の噴石を噴出する爆発噴火があり、死者1名、負傷者11名を出した。これ以降、南岳山頂付近は立ち入り禁止となった。以後の噴火はそのほとんどが南岳山頂火口で起きている。噴火活動の再開を受けて1960年(昭和35年)に桜島火山観測所が開設された。1967年(昭和42年)8月の噴火において火砕流が発生するなど活発な噴火活動も見られたが、1960年を境にして爆発回数は減少に転じ、1969年(昭和44年)頃に収束している。
1970年代に入ると再び噴火活動が活発となり、1972年(昭和47年)10月2日午後10時19分に南岳山頂でやや大きな爆発噴火が発生した。噴出した高温の噴石によって多数の山火事が発生している。これをきっかけとして翌年に活動火山対策特別措置法が制定され、避難施設の整備、農林漁業被害への補助、降灰除去事業、土石流対策の砂防工事、火山観測や研究などの対策が強化されることになった。1973年(昭和48年)以降、年間数十回から数百回程度の爆発を繰り返すようになり日常的に降灰が続いた。